来季から大学3年生になるので、これまでの活動とこれからの行動について考えてみました!
大学1、2年でやってきたこと
①1年生
先輩や大人、インターネット、書籍の情報を通して「大学生のうちにやっておくべきこと」をひたすら受け入れ、実践してきた。
- ブログ
- 本を読む
- 学生団体をつくる
- クラウドファンディング
- イベント開催
- 助成金申請
- 人に想いを伝える
- マイプロをある程度まで大きくさせる
- 場に行き、大人とあって話を聞く
- とりあえずやってみる
- コンビニバイト
- ベンチャー企業にインターン
- 仙台駅前で赤パンツ一丁プロモーション
- 大学の勉強
- ひとを巻き込んだ
- 河北新報に載る
- 島根県の海士町で短期インターン
- 岡山県総社市へボランティア
- 学科の教育イベントの運営に参加
- 花笠祭りで踊る
- サークルの再起に一役買う
- NHKから取材を受ける
②2年生
1年生の時とあまりマインドや行動のスタンスは変えず過ごしたが、引き続きやった方がいいなと感じたことは継続し、今やっても意味ないことはやらないことにした。
「何事もやってみることが大切」という言葉を信じてみたものの、「それっぽい行動」には意味がないと感じていたので、意識的に「あまり人がやっていない行動」をとっていくことにした。
- 研究のついでにヒッチハイクで日本縦断
- クラウドファンディング
- ブログ
- 地域で活躍している大人とたくさん深い話をした
- 本を読んだ
- ブログで月に1万円稼いだ
- 場にいった
- 九州豪雨のボランティア
- 宮城県丸森にボランティア
- 学校でゴミ拾い活動
- パーマカルチャーを学ぶ
- 先行研究に着手
- 自己分析しまくる
- 気仙沼でイベント
- 新聞配達のバイト
- ワークショップ開催
大学1、2年を通して学んだこと
僕自身、高校生の頃に比べて、より寛容にひとの価値観を受け入れることができるようになった。
昔は自分の意見とは違うことを言う人に対して、嫌悪し、対立の立場で接する傾向にあったのだが
大学に入学してから多様な属性の人間と対話し続けた結果、ひとの意見をスッと話を受けいれることができる心持ちをもてるようになった。
少しばかり精神年齢はあがった実感があるし、この実感を得ることができたのも「とりあえずやってみる」という、ある種の思考停止マインドをもっていたからだと思う。
それに加え、なにか挑戦した後には「内省する習慣」も行っていた。これらは全てビジネス書や実用本の知識だ。
とある教育学者が提言した「行動(action)と省察(reflection)」のバランスがとられてようやく、ひとの言葉が意味をもつといった学説。
今まで僕が行ってきた行動には、特段、社会的価値があったようには思わない。しかしながら、行動→省察の循環を繰り返すうちに、その行動にほんの僅かだが意味が生じてきているのだ。
それは自身の意味でもあり社会からしてもである。
行動、省察を繰り返すうちに、いつからか僕の人生の目的は明確になり、自身の幸せの追求から他者(社会)の変容に幸福的価値の概念がシフトしていた。
人生の目的や哲学が明確になり始めてから、本当に関わるべきもの、大切にすべきひとがなんとなく直感で、素早く判断できるようになった。
良い音楽は、良い音楽のインプットがあってようやく理解できるように、それは人も然り。
この直感的な判断は正しいか正直わからないが、そういったモノやヒトには「とある共通点」があることを自身の省察から導くことができるようになった。
無意識にそれらの共通点に気づけているという点では、なんらかの美的センスが磨かれていることは確かである。
大学に入学した当時は、人生の軸も自身の哲学も兼ねていなかった。しかし、こうしてポジティブな成長ができたのも、ひとのおかげであり、何より自分が行動したからなのだと思う。
「行動と省察」これらと、もう一つ。
〈環境〉が成長のために重要であると実感している。(ここでは「ハード面、関わるひと、ロールモデル」の3つが環境の要素であるとする。)
- ハード面 学習環境、学習のための資源
- 関わるひと 一緒に協働する仲間のマインドセット
- ロールモデル 行動や思考の模範とするひと(大人)
以上の3点が充実していればしているほど、成長曲線は著しく上がっていく。
しかし、どれか1つでも欠けていたり、間違っていると成長はしづらくなる。偏差値のとりわけ高くない大学において、この3点を孕んだ環境にいるひとはとても少ない。常にアンテナを張っていなければ、この環境の大切さにも気づけない、ようは非常に難しい「細い抜け道」なのである。
「価値を恣意的に生み出せる」のは業界でも天才・敏腕・重鎮と呼ばれたりするごく少数の人間であり、一般的な大学生では実現不可能だ。
我々が価値を生み出すためにできることは「目の前の人を幸せにすること、成長志向で行動していくこと」だけ。
僕はその道で迷わないように、継続的に多くの大人の声に耳を傾けるようにしている。その中で僕はとても大切なことに気づいた。
それは「価値は後からついてくるものだ」ということ。
人を幸せにするプロセスの中で「行動→省察」を繰り返し、規模感を大きくしていくことが唯一、僕たち学生ができる価値創出の手段なのではなかろうか。
研究に関して
僕は毎年迎える3.11が鬱陶しくてたまらない。その日に近づくと、気持ちが病んでしまい、うつ状態になってしまうのだ。
要因については深く述べないが、メディアや空気感などが原因である。地獄みたいな精神状態になってしまう。
そういったひとは僕の他にもいる。大学1年の頃、同年代にアンケートをとったところ80人中約8割が、「あの日を迎えるのが嫌だ」と回答したのだ。そこが1つの地域課題であると考え、プロジェクト「僕らが!」という学生団体を発足させた。
当団体のビジョンは「3.11に夢を語る風習を地域に根付かせること」で、そのビジョンはたかとも自身の人生の抽象目標と同じ。
団体発足当時は、「若者に夢を語らせる場をつくろう」と安易に考え、イベントやワークショップを開催したが抜本的な課題解決にはつながらないことにアンケートやヒアリングを通して気がついた。
ではどうしたら「僕らが!」のビジョンが達成されるのか。
そこで僕は「若者とロールモデルとなりうる大人に接点が生まれれば、夢というよりか、具体的な目標や行動指針が若者に生まれるのではないか」と、とある教育者との会話で閃いた。
しかし、研究を進めていく中で僕の地元である南三陸は、比較的「閉じた地域コミュニティ」であることが判明した。
若者とよその大人、もとより地域の大人とも密な接点はないようなのだ。今の地元にそういった場を無理やり作ろうとしたところで、継続性やインパクトはたかが知れている。
ビジョン達成のためには、地元に「閉じたコミュニティを開く玄関と、若者とよその大人が交流する居間」のような仕組みがなくてはならないのだ。しっかりと地域の若者が「行動→省察」の工程を踏み、その上で夢や目標を3.11の日にアウトプットする。そんな場所を作りたい。人生をかけて絶対に達成したい。
大学在学期間もしっかりとビジョン達成のために有効活用していきたいところ。自身の研究を通して「よそ者を受け入れた方が地域において網羅的に利点がある」ことを立証すれば、僕が将来作らんとしている仕組みのロジックになり得る。
ある程度の理論を用意しなければ、共感の輪は広がらない。
大学に入学した当初から「震災後の地域コミュニティについて」研究するつもりだった。
2年時のヒッチハイクの旅では、広島、長崎、淡路など、「一度崩壊した地域」に足を運び、その知識に豊富な多岐に渡るセクターの大人に話を伺ってきた。
その中で徐々にだが、僕の研究に具体性が帯びてきていた。
前は抽象的なテーマで研究していたが、今ではなるべく具体的な「東日本大震災以降の被災地域において、各地域が受け入れた団体の普遍的な規模によって、震災から10年でどのような変容があったかを比較する」といったテーマで研究している。
もちろん研究の途中で、もっと本質的な研究にシフトするかもしれない。
これからの大学生活でやりたいこと
- 研究
- 大人の人から話を聞く
- 研究や知見が広がるイベントに参加し、自分がやりたいことを伝える
- 一週間に一度ブログ投稿
- 酒の場に行ったら、YouTube撮影
- 大学在学期間中にブログで付き30000円稼げるようになる
- 筋トレを一年間継続し、屈強な精神と肉体を手に入れる
- 週に一度モチベアップのための目標達成会議を行う
- 朝活を習慣化する
- 毎日のTODOリストを作成する
その他(優先順位低め)
グラレコを上達させる、実務的なスキルアップ、彼女を作る、合コンを企画するなど
みなさまにお願い
結論から述べると、僕の研究を手伝っていただきたいです。具体的には「その界隈に詳しいひとと、おすすめの論文や書籍」をしてほしいです。
また、下のボタンから研究のサイトに飛ぶことができるので、是非みたり、編集してください↓
コメントなどで教えてください!