



前回までのあらすじ
今日はたかとも、なにをしていたんだ?


今日は神戸市にある「人と防災未来センター」にて阪神淡路大震災を感じてきたよ。あと、ヒッチハイクで神戸から岡山に移動したんだ。
人と防災未来センターってどこ?



▼人と防災未来センターの公式ホームページはこちらから▼
人と未来防災センター
阪神・淡路大震災から得た貴重な教訓を世界共有の財産として後世に継承し、国内外の地震災害による被害軽減に貢献すること、および生命の尊さ共生の大切さを世界に発信することを目的に設立された。
ウィキペディアより参照
阪神淡路大震災の規模感と阪神淡路の際におけるコミュニティについて学びたかったんだ。



本題の前におさらい
−ここで一つおさらいがあります。この「日本縦断ヒッチハイクで漢一人旅」の基本的ルールとしては
- 頼まれごとには全てYES
- ヒッチハイクで乗せてくださった方の命令一つ必ず聞く
- アポはなるべく前日、人伝てで人にお会いさせていただく
- ヒッチハイクで必ず県を跨がなくてはならない(都市圏は別)
- ヒッチハイクで乗せてくださった方には最大の感謝の気持ちを込めて似顔絵をプレゼントする。
たかともはこのルールを遵守しているんだべ。


阪神淡路大震災
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)
1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大災害。
ポータル 災害
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、M7.3[注釈 1] の兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模である。戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
1995年7月25日、激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)に基づく激甚災害に指定。
震災の記憶を辿る



阪神淡路大震災の記憶を辿るために、たかともは意を決してツアーに参加した。
この巨大スクリーンに映し出されるのは、地震を体験できる映像。少々見ていて頭が痛くなるような映像だったよ。
−例えるなら、ゴジラがやってきたような。「え?地震でこんなに建物って倒壊するんだ、東日本大震災の時よりも地震による建築物の倒壊度が高いじゃん」って思ったんです。
阪神淡路大震災に関しては震災遺構の方針としてなるべく、「災害を全く知らない人にインパクトを与えて防災、減災につなげる」という思惑があるのかな。
気仙沼にある震災遺構の施設でもここまでのインパクトがある映像は流れなかった。
阿部くんは「その土地の人柄じゃない?」って言っていたけど、そんなので誇張するのかい、と。
実際のところどうなんだろうと思ったわけですよ。



スタッフのおじちゃんに聞いてみたよ。
話を聞いていくとどうやら、建物の老朽化や木造建築が今に比べて多かったため建築物崩壊の規模が大きくなってしまったらしい。
コミュニティ管理不足
−広い地域に甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災では、仮設住宅に「復興支援員」と呼ばれる人を配置していなかった。
問題意識を持った若者などがNPOやその他支援団体を有志で立ち上げ他事例もあるようなので一概に全く仮設住宅に入り込んで生活の支援を行う人がいなかったとは言えないが
阪神淡路大震災の時は、制度として復興支援員が仮設住宅に入る仕組みがなかったのです。それではいけないよね、って早めに気づいて復興公営住宅の方には復興支援員が配置されていたようです。
そのため、仮設住宅に一時避難していた人は友達をつくりづらかったそうです。
この話はスタッフのおじいさんからお話伺いました。
スタッフさんは震災を経験されている方



主におじいちゃんとおばあちゃんだった。
スタッフの中には災害によって九死に一生を得た経験をなされた方もいるようで、みなさん自分の経験をできる限り若者に伝えたいそうだよ。
他の日本で起きた災害情報も
東日本大震災をはじめとして、九州豪雨や北海道胆振地震などの記事も掲載されてありました。人と未来防災センターとだけあって、日本、世界に至るまで広く災害の事例が掲載されてあったよ。
地球に住んでいるのならば…
災害は避けては通れないものなんだなあと改めて実感しました。
最後に、思ったこと
−先にも述べたとおり、日本のどこに居ようが形を変えて災害というものはあなたの身にも降りかかってきます。自分の命を守る上で今からでもできることは防災や減災です。
例えば、避難グッズを玄関の前に兼ね揃えておくとか、家からの避難経路を確認しておくとか。棚に突っ張り棒をつけておくとか。
我々人間が天災に対してできることと言ったらそれくらいでしょうか。
あとは、今日死んでも後悔のないように全力で生きていればとりあえず心の減災には繋がると思います。
震災10年以降のコミュニティも、そんな硬くなりすぎずとも後世に震災の怖ろしさだったり、防災意識向上の取り組みだったりをしていくべきですよね。
ヒッチハイクで向かうは岡山県!
よーし、今日は何時間かかるかな…?!
−と阿部くんと話をし、スケッチブックを掲げると…
コンマ2秒程で車に乗せて貰った!!!



息子さんも乗っていたんですが、大阪弁でとっても亀田一家に似ていました笑
乗せていただきありがとうございます!
ということで本日はここまで!
明日は岡山県にお邪魔します!明日もお楽しみに!